意識の変化
MOMEDを1週間ほどすると、自然と意識や感覚が変わるのが分かるだろう。
人によっては、少しのことで感動したり泣いたり怒ったりと感情的になる人もいる。
なぜなら、今まで押さえつけていたり見てみぬふりをしていた感情をMOMEDにより癒し解放をするからだ。
自分の気持ちや感情に敏感になり、朝の澄んだ空気、コーヒーの香り、雨音など五感も芽生えてくる。
そうすると、自ずと毎日の幸福度がアップする。
今この瞬間の選択が変わる
自分の感覚や感性を取り戻すと、意見やYES、NOがはっきりと分かるようになり、それにより日々の選択も変わってくる。
人生とは日々の積み重ね。日々とは、時間の積み重ね、もっと言うと、「今この瞬間」なのである。
例えば、お金がかかるからといってやめていたいつものアイスを少し高いハーゲンダッツにしてみたり、派手な色だからと言って着るのを我慢していた洋服を買ってみたり、家族に悪いからと遠慮していた旅行など、最初は小さなことかもしれないけれど、選択が変わる。
そう、「今この瞬間」の選択が変わると、人生の選択が変わる。
そして何よりその選択に自信を持てる様になる。自己否定だったハーゲンダッツが当たり前になり
心の声を聞くこと、夢を叶えること、沢山の願望も芽生えてくる。
すると、今までの環境に違和感を抱く。会社を辞めたくなったり、恋人と別れを考えたり・・・
今まで仲良くしていたグループにいるのが辛くなったり、人間関係のトラブルもあるだろう。
大丈夫!みんな一緒!
だが、ここで不安にならないでほしい。
一時的に人間関係のトラブルが生じたり、話の合う友達がいなくなったり、孤独になったりもするだろうが、
そして、本来の自分の感覚や選択に慣れてくると、今自分が創り出している環境を冷静に観察する様にもなる。
何より、その選択の根源である「思い込み」に気がつく。
例えば、職場で自分だけ業務量が多い現実が現れたとする。その選択の元になっている思い込みは、「何かできる自分に価値がある」「誰かを助けたり世話をしないといけない」「甘えてはいけない」
次は、その「思い込み」を外していけばいい。
だって、職場でも学校でも、特に何の成果も努力もしてないのに上司に気に入られたり、助けてくれる人や頼りになる人がその都度現れたり、それでいて人に好かれたり人気者、そんな人いませんか?
私は、努力しているのにって妬んだりしていませんか?
妬んだりしているだけではなく、その人の様に誰かに頼ったり時々助けを求めたりお願いをするのはどうだろう?助けられる人は、日々、誰かに頼ったり助けを求めている。
何も普段から一人でできるもん!と言っている人に対しては、助けは来ない。笑っている人にだけ、笑い返される。
そして、何より「何かができないといけない」「誰かを助けないといけない」「甘えてはいけない」という「思い込み」がない。
極端に言うと、無条件に愛されることを許可しているから、愛されるのである。
無条件の愛
失敗しても仕事ができなくても、負けてしまっても、誰かに追い越されてしまっても、何ならその自分が可愛いくて愛おしい。
自分を無条件に愛してくれる人がいたら、何だってできませんか?
だって、失敗してもいいし、評価なんてとらなくていいし、ただ自由にしたいことをするだけでいい。
そんな無条件の愛に包まれていたら、自然と挑戦してみたいと思いませんか?
ピースフルな世界へ
今は、簡単に自己表現や繋がりを形成してしまえる時代。芸能人や人前に出ると言う覚悟でしている人ですら、心ない言葉で命を絶ってしまう時代。
これだけ情報が溢れかえっている世の中で、何を基準に生きていくか、そこをはっきりとしておかないとたとえ評価や成果を出したとしても幸せとはほど遠い場所に行ってしまう。
その基準とは、自分への「無条件の愛」があってできるもの。
本当に欲しいのは、誰かの「嬉しい!」という喜び。
さて、その基準はどこから生まれるか。
ただしてみたいことしてみよう!という自分への「無条件の愛」から生まれるのだ。
そして、もっともっと俯瞰してみると、自分への愛は、他者へ良い影響しかないことになる。
ママがいつもニコニコしていたらそれだけで子供は幸せなのように、愛の選択をする人が増えれば世界は幸せになる。
よりピースフルな世界が生まれるのだ。
世界は自分で創っている
今日は、どんな世界が見られるだろう。
会社に行く前、そう思って出勤すると、いつもの仕事も少し楽しくならないだろうか?
評価や人目を気にして我慢することから、今日は「人に頼ってみよう!」「お願いをしてみよう!」「質問をしてみよう!」
そんな挑戦ができる場所ってありがたいですよね。もちろん、頼ったところで助けてもらえないかもしれないし、いきなり何?っていう反応もある。
でもね、その行動を取れるということは、「思い込み」がなくなったということ。
「思い込み」がなくなったということは、「無条件の愛」に近づいたということ。
その時は助けてくれる人も頼りになる人も現れなかったとしても、次に何か仕事をする時誰かが助けてくれたりするかもしれない。
人目や評価を得ることを目的とせず、自然体に仕事ができたらすごく楽しいですよね。
「思い込み」と言う紐解きこそが人生をより良くする。
そう、それは、MOMEDによって。
安心してください、ただ踊っているだけです
ここで一つだけお願いがあります。
感情を解放すること、意見を言うことは、全然良いです。
だけれど、「自分を生きるんだ!」と力んで感情的に誰かにぶつかって行くのはやめてほしい。
だってその場所や人を選択しているのはあくまで自分なのだから。
こんなはずじゃなかったとどう言い訳しようが、「思い込み」自体も自分が作っている。
自分を生きるというのは、楽に生きるということではない。時に人から批判されたり孤独になることだってある。それでも自分を生きたい、そう願う人のみ自分自身の責任で選択をしてみてほしい。
そして、何より感情的に怒ったり泣いたりは、一人の時にすること。
叫んでもいいし物に当たってもいいし、とにかく人に当たるのだけは避けてほしい。
なぜわざわざこれを書くかと言うと、バンジージャンプかのように「会社を辞める!」「学校を辞める!」「恋人と別れる!」「家族と訣別する!」などとなる人が多くいるからだ。
もしその場を去ることや誰かと別れるという選択をする時は、自然と訪れる。
辞めてやる!と力むのではなく、心静かにとても穏やかに決断できる時が必ず来るので、安心して今に委ねよう。
大丈夫、世界は自分で創れるのだから。
最後に、感情豊かになると不安や恐怖にも敏感になるので、時々これを続けていて大丈夫なのかと思う人もいるだろうが、安心してください、ただ、踊っているだけです!