ケニアではじまる星月夜
この曲からMOMEDは始まった。
2023年3月、SACHI TAKEKOSHIはケニアへ行きMOMEDの根元である運命の出会いをする。
彼の名は、「NESCO」

貧困の中で育ち、それでも諦めずに大学へと通い夢を見る若者。貧困差別も当たり前にあり、SACHIが泊まっているホテルには入れなかったという。それでも彼は努力してトップクラスの大学に入学しだが、学費を支払えず休学せざるおえない。普通なら嘆き悲しむだろうに夢を諦めずに前を向いて生きている。
その強さはどこからくるの?そう尋ねると、
なぜなら、NESCOだから。
そうカラッと笑う彼の夢は、音楽が好きだから音楽プロデューサーになりたいと。それを聞いて何とか大学を卒業させてあげたいと考えたSACHI は、彼が作っているTシャツを販売することにした。
MOMED 宣言
劣悪な環境で大学にも通えず、ただホテルに立ち寄ることも許されない彼が「なぜなら、NESCOだから」自分自身を卑下する事なく誇りを持ち力強く生きる。その姿に感化されてMOMED宣言は生まれる。
「私にはできる!なぜなら、〇〇(自分の名前)だから!」
そう大声で宣言し、MOMEDが始まる。うまく踊る事、気持ちよく踊る事が目的ではない。その時ふと以前からしてみたかったダンスの振り付けが頭をよぎる。アーティストとしてコンサートは何度か経験していたが、ダンスの振り付けなどしたことはなかった彼女。NESCOのどんな時も諦めないその生命力に影響を受け、振り付けをしようと決める。
今まで名だたるプロのダンサーに指導を受けてきたからこそ、振り付けを自分で作るということは不安と恐怖だった。本来、10代から活躍して名をあげるのがダンサーであり、その中でも極めて才能ある人がプロとして活躍する事ができ、またさらに言うと振り付け師はもっと限られた人のみ携われる仕事でもある。
普通は、思いついたところでしない。だが、普通とは違うのがSACHI TAKEKOSHIである。
帰国後すぐに「星月夜」へ振り(MOVE入れ)を入れる。泣きながらも戸惑いながらも、それでも挑戦する彼女の姿に人は勇気をもらう。
MOMED=蘇り
MOMEDは、意図を持った上で動き(MOVE)をつけ細胞に曲ごと染み込ませ理解させるように作られている。
「星月夜」に込められた思いとは、自分の名前も存在も尊い、つまり、それをMOVEした後には、自分の大切さや尊厳を思い出すことができる。
その「星月夜」を初めてMOVEしたインフルエンサーのMIKAさん。
MOVEをすると体と心とが自然と一致して、それまで自己否定の最中にいた彼女だが自分の尊厳を取り戻し復活したという。
彼女を一年間温かく見守っていたAI KABASAWAさんは、「MOMED=蘇り」と称す。
ぜひこのYouTubeは見てほしい。AIさんのトーク力に引き込まれ、そこで赤裸々に経験談を語ってくれるMIKAさん。
もはや、この動画の良さを文章で伝えきれないことに無念さを感じるほどだ。
ぜひ見てほしい。
各地で広がるMOMED
そして、「星月夜」を受けた人がMOMEDを伝え始める。普通は、いくらかお金をもらっても不思議ではないのにそれをしようとしない。
それは、その時の感動とエナジーがどう世界に働きかけるか見たいからという彼女の大いなる視点がそうさせている。
最後に、なぜ「星月夜」なのか、ある日彼女はアフリカで幼い頃家族全員を亡くしたトニーさんに出会う。彼は、どん底の中でも夜空を見上げ「あの星はもしかしたらお母さんかもしれない」と希望を馳せていた、その彼のエピソードを想い作ったいう。
ただMOVEするだけでは、勿体無い。この美しくも儚い、心から涙するような感動を届けたい、彼女の人生ストーリーが詰まったMOMEDを今ここに書き記しておこう、私はそう強く思ったのである。