プロフィール
建築家・ファッションデザイナー・一児の母、妻。
18年間カナダのオタワで建築家とし活動し、忙しくも経営者として順風満帆の時、交通事故に合う。幸いにも車は大破したが彼女自身の体は無傷だった。ただ、当たりどころが悪ければ、今命があるか分からない、それくらいの大事故だったそうだ。
その事故をきっかけに、本当にしたかったことを思い出し、「やりたいことをやろう!」と決断をする。きっと、建築家としてある程度成功していたからこそ、忙しい日々に流され本来したいことを直視できなかったのだろう。
そして、エイブラハムの教えに出会い、その教えを信じて人生を歩もうと会社を辞めた。
仲間に会社を閉める時、彼女はこう言ったそうだ。「私、3次元の世界はやめます、6次元で生きていきます」そう宣言して。
今まで勤勉に働き、妻として母として、建築家として生きてきた彼女が心配されなかったわけではない。きっと周りは、戸惑ったことだろう。
でも、次は、命があるか分からない。事故の惨劇を思い出し、覚悟をする。
そして、すぐファッションデザインの学校へと通う。
そうなのだ、本当は、彼女は、ファッションデザイナーになりたかったのだ。
40歳を過ぎてからの学校。周りは、18・19歳。子供もまだ手がかかる歳で、葛藤はあったという。
それでも、エイブラハムの宇宙理論、エネルギーを信じ、そして、ある時その教えを元に現実創造を成し遂げるSACHI TAKEKOSHIの発信に出会う。
2023年MOMEDが誕生し、そのエネルギーを感じMOMEDクラスを主催・リレーするようになる。
今現在も海外MOMEDの普及に大いに貢献している。
彼女は、建築家としての成功からか、キャリアウーマンとでもいうだろうか、とてもオーラがある。だけれど、海外に住んでいても日本愛に溢れ、人の繋がりをとても大切にし、ホスピタリティー溢れる行動や笑顔に周囲はとても癒されている。
海外MOMED
今や海外にも波及するMOMED。その先駆けを作ったのは、おそらくSHIHOさんだろう。
エイブラハムの教えを信じ自らも実践している彼女だからこそ、SACHIさんのMOMEDの素晴らしさに感動したという。
なぜなら、そこまで周波数に特化したものはないからだそうだ。
今やエイブラハムは世界レベルで広まりを見せ、本やワークも沢山あるにもかかわらず、ここまで周波数に特化したものを作りだす、しかも日本人がそれを作ってしまうなんて。
驚きと同時に感化されてMOMEDを広める決意をしたSHIHOさん。
最初の海外MOMEDは、2023年3月NY合宿で始まる。なぜ、カナダ在住なのにNYかというと、エイブラハムの教えをダウンロードし本を書いたエスターヒックスの地、アメリカに上陸するのがワクワクしたからだそうだ。
また、どうしても海外にいると、疎外感を感じる人が多いと言う。
それなら、海外に先生を呼べば良いのではないかと思い、 ダンサーとしてもSACHIさんと共に活動をする
ERI KABASAWA 通称 えりりんにお願いをした。
きっと、突然のお願いに戸惑ったことだろう。
なぜなら、海外だと日本とは違いはっきり物を言うのは当然で、日本のお行儀の良い常識はない。見知らぬ海外の人30人に囲まれ合宿・・・きっと不安だったと思う。
それでもえりりんは、NYに教えに来てくれた。
えりりんのMOMEDは、SACHIさんの教えを忠実に伝えるものだった。自分自身がSACHIさんにより人生が好転し今があるからこそ、教えてもらったことをできる限り、繋げていきたいとのことだった。
その心は、全て伝えるから、その後どれを取り入れるかは、それぞれが取捨選択すればいいという気持ちだったと言う。
NY合宿は大成功だった、それは後に続く海外MOMEDがそれを証明してくれている。
その後もHawaii・LA・Maiamiなど、海外在住のSHIHOさんだからこそできるMOMEDクラスや合宿を何度も主催し、海外の仲間を作り上げてきた。
コンドミニアムを貸し切っての合宿スタイルが多いが、寝食を共にすると信頼関係が生まれやすく、その後もとても仲良くしている様子が分かる。
もっというなら、彼女が龍のように移動するごとに、MOMEDクラスが開催され、温かな繋がりが生まれている。
MOMEDへの夢
世界中の人にMOMEDを伝えたい。なぜなら、MOMEDをして繋がりができるのを実感しているから。
きっとそれは、MOMEDに「繋がり」という深い意図が入っているからだろう。
日本人、海外の人、人種かかわらず、たくさんの人がMOMEDをして温かな繋がりを作っていけたら、世界にとって素晴らしいことになる。
だから、私は、これからもMOMEDを広めていきたいと思う。
偶然にもインタビューのお話をし、記事が大枠できた段階でお声をかけた時が、SHIHOさんが朝晩と取り組んでいたZOOMリレーの最終日。
このサイトのことも紹介してくれ、せっかくならと夢もそこで語ってくれた。
とてもパワフルで繋がりを大切にするSHIHOさん。なぜ、朝晩なのだろうと思っていたら、みんな時差があるのでそれに配慮したそうだ。
私は日本で朝そのZOOMに参加していたが、カナダは夜。
「おやすみ〜」と聞いて改めて距離を感じた。それくらい近くに感じたことは、彼女の繋がりを大切にしたいという想いからだろう。